フォト

マイリンク

無料ブログはココログ

« 8Upな日 | トップページ | Common Senseを超えたCommonな日 »

2007年7月 4日 (水)

Mtumeな日

Mtume 音楽の好みというものは人それぞれであり、かなりの幅を持っている。これってかなりおもしろいことじゃないかな。自分がものすごいいいと思っている音楽を友人に聴かせてみても、「ん~…」みたいなリアクションをされることも多い。これにはやはり疑問を持ってしまう。なぜ分からないんだと。しかし、実際にはAAAを愛聴している人達だっているのだ。いや、僕がいままで紹介してきた盤を愛聴している人達の100倍はいるだろう。それは、そういったものを聴いている人達がいままでに聴いてきた音楽の数が好くなく、そこまで到達していないということなのだろうか。それとも、それを一番よいと感じ取る感受性の持ち主なのだろうか。前者なら、まだ音楽という文化の将来は見える(それでも、そこでストップしていては駄目だが…)。後者なら…。どんどん音楽といったものが未熟で、稚拙なものへと変化してしまう恐れがある。そんな重い命題を考えつつ、Mtumeの「Juicy Fruit」をご紹介(実は本作mixiにおいてもレビュー済みで、それに手直しを加えつつ)。

83年発表。本作は、80年代ブラックミュージックを考える上で重要なアルバムの一枚である。それは、本作が機械によるファンクとしての一つの到達点に達しているからだ。ファンクの魅力の一つに、「間」というものがある。その点を一番うまく表現できたのがこのMtumeの「Juicy Fruit」であるということができるのだ。その独特なグルーヴ感は、よく表現される通り、まさしく麻薬的。また、年代的に生音と打ち込みの境目の時期でもあり、ドラムの打ち込みに絡むベースとシンセの演奏により絶妙な間を生み出すことに成功している。

前作の「IN SEARCH OF THE RANBOW SEEKERS」(1980)では、歌もの的要素が強いメロウファンクが多数収録されていたが(でもこっちも最高!)、その歌もの的な要素が薄れ、クールなファンクが生まれた理由にはREGGIE LUCAS、HUBERT EAVES(Ⅲ)、HOWARD KINGというMTUMEのメロウ部門の御三方が抜けたのが理由だと推測できる。REGGIE LUCASはSUNFIRE(彼らの「SUNFIRE」(1982)は「IN SEARCH OF THE RANBOW SEEKERS」を洗練させたかのような印象を受ける)を手がけ、残りの2人も80年代の歌ものを多数プロデュースしているからだ。

離脱組とは違いストイックにファンクを求めたMtumeの作品ではその間を存分に楽しみたい。タイトルトラックの"Juicy Fruit"からしてあのドラムは相当に変わっている。でも、そこに、メロウな上モノとTawathaの歌を乗せただけで、あれだけアーバンなきらめきを演出できるのだからさすがだ。本作は何度も書いているが「間」だ。それも全曲でその「間」を確認することが出来る。でかい音でかけ、ドラムのリズムに合わして首を動かしてもらいたい。そうすれば、この気持ちよさが分かるはず。

いや~、熱いレビューしちゃいました。このアルバムもこの前書いたFunkadelicと同じくらい気に入っている盤。個人的にはZapp以上にすごいと思っている80年代ファンクの頂点だ。でも以前、この盤を聴いたという知人(ニューソウル、フリーソウル系好き)が、よく理解できなかったと言っていた。それは、でかい音でかけていないことが要因の一つに上げられると思う。ファンクはやはりでかい音で聴かないとかっこよく聴こえてこない。80年代のものになるとなおさらだ。ということで、本作を聴くときにはレビューの最後で書いたでかい音と、リズムに合わした首の動きをよろしくお願いいたします。

« 8Upな日 | トップページ | Common Senseを超えたCommonな日 »

Soul & Funk(80's)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/419681/7034810

この記事へのトラックバック一覧です: Mtumeな日:

« 8Upな日 | トップページ | Common Senseを超えたCommonな日 »